Camino de Santiago

銀河の道 Mitsue Kojima

第10章 2006年秋の巡礼

2006年11月19日~12月28日
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~フィステーラ

11月19日~11月29日
Saint-Jean-Pied-de-Port~Belorado
(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~ベロラード)

バスク地方の謎

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからずっと山を登るとオント(Honte)にでる。ここはまだフランス。このジットでオーナーのご家族と一緒に夕食をいただいた。美味しい家庭料理に舌鼓を打つ。
テーブルでは聞きなれない言葉が行き交う。それはバスク語。この地方はバスク地方といい、スペインにもフランスにも交わらない独特の文化と言語がある。バスク人は世界最古の民族の一つである。独特の文化をもつ謎は未だに解明されていないそうだ。一つの説として大陸移動説なるものがある。独特の文化の由来って何? あ~知りたい!

自然のオーラ

1450mの山を越えるピレネー山脈越えでは1200mにさしかかった所で一羽の大鳥(イーグル?)が空に弧を描くように舞うのを見た。その瞬間、黄色い柔らかなものが大鳥を優しく包んだ。それは大鳥が舞う方向の山々まで大きく包んでいったのである。自然のオーラであろうか。本当に素晴らしい!自分の感性が鋭くなってきたのを感じる。

フロンテーラ(Frontera)
フロンテーラ(Frontera)

フランスとスペインの国境。
ここには水飲み場がありホッと一息つける。


ナイルの水の一滴

スビリを過ぎると牧場がある長閑な山道をアルガ川沿いに崖登りとなる。アルガ川の水量は前日の大雨の影響で轟々と音をたてて流れていく。
ふと志賀直哉の随筆「ナイル川の水の一滴」が浮かんできた。(志賀直哉が言おうとしたこととは違うかもしれないが)、人の人生はかけがえのないたった一つのもの、ただその一つ一つが交わり大河となる。私はただその一滴の人生を歩んでいる。それで構わない。人々は(私は)その大河を創るために、つながりを大切にする必要があるのではないだろうか。

蚤の大攻撃

エステージャのアルベルゲでは睡眠中、身体のいたるところが痒くなる。見ると腫れ上がっている様子。しかし睡魔が勝って、ホリボリかきながらも翌朝となる。かゆみの原因はそう、蚤!10ヶ所も血を吸われたのである。もう~~~~~~

無料のワインだからって
無料のワインだからって

エステージャを過ぎればメインイベント、「ワインの泉」である。
ボデーガス・イラチェ社が巡礼者のために無料で提供してくれるワインである。蛇口をひねれば好きなだけいただける。私はペットボトルに入れて持参し、ランチとともにいただいた。
風の音に誘われて昼寝をしたまではいいが、飲み過ぎて、その後道を間違えた。みなさん、飲み過ぎにご注意!


巡礼道は午前中太陽を背にして歩くので、自分の影を写すとこのようになる。

巡礼道は午前中太陽を背にして歩くので、自分の影を写すとこのようになる。

ピレネー山脈で拾った木が私の杖となってくれた。
杖は悠々たる天地を貫きたがっているようだ。


夜の教会

グラニョンのアルベルゲのオスピタレーロ(アルベルゲで巡礼者のケアをしてくれるボランティアさん)のホヘフさん、夜の静まり返った薄暗い教会内を、懐中電灯で照らして案内していただいた。石の彫刻が小さな輪の光に浮き出される。足音が教会内に厳かに響き渡り、幻想的な場面だった。
そのホヘフさんに誘われて村の若者達と待ち合わせ、通りのクリスマスデコレーションにお付き合い。その後、寒さに凍える身体をチムニーが暖めてくれた。チムニーの炎は赤く、橙に、黄、青に揺らぎ私の中の不純物を燃やしてくれた。心が浄化されていく感じがした。


11月30日~12月9日
Belorado~Mansilla de las Mulas (ベロラード~マンシージャ・デ・ラス・ムーラス)

今日泊まっていって

ビジャンビスティア(Villambistia)にあるバルでカフェ・コン・レチェ(カフェオレ)をいただきに入ったら、そこのオーナーが流暢な英語で話しかけてくる。「見てくれ、見てくれ」と、とてつもなく大きな家の外の広いお庭に誘われた。10本はあるかと思われるアップルツリーにハンティングドッグが8匹、薪割り小屋までお付き合い。「今日泊まっていって」と彼。そこでやっと彼の意図に気がついた。そう男の価値を財産で示していたのである。「いや、時間がないの」と私。そそくさと逃げるようにバルを後にした。彼はといえば、玄関で手をふって、淋しそうに涙を浮かべていた。
ここカミーノ沿いの小さな村でも過疎化が進んでいる。暮らす人もおらず、きつい孤独感にみちている。日本の村と似た状況である。大きな問題だ。

前を行く二人の巡礼者
前を行く二人の巡礼者

前を行く二人の巡礼者。彼等はここカミーノで出会って意気投合し、サンティアゴに仲良くゴールしたのだ。


メッセンジャー

ブルゴスを過ぎるとオンターナス。ここでフランス人ヴィンセントと再会した。ヴィンセントが私のノートに記した一文がある。「The ability to find by change what you are looking」。ヴィンセントは「カミーノを歩くと、毎日、自分の才能を掘り起こす場面に出会う」と言った。この日を境に、私は自分の直感を大事にして、魂に響くものを見つけだそうと心に決めた。私の中にある才能は、いったい何であろうか?ヴィンセントは私へのメッセンジャーとして、必然的に現われたのだと思う。

フローミスタのアルベルゲにはヒーターが無い。
フローミスタのアルベルゲにはヒーターが無い。

寒さしのぎにベッドの周りを毛布で囲む巡礼者たち。「キングのようだね」と皆で大笑い。


スペイン人が歌う日本の歌とは?

テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスのアルベルゲ(テンプル騎士団経営)では11人の巡礼者が集まっていた。
この日は夕食後、ギターの演奏で歌にフラメンコにと皆でパーティー。スペインの歌はテンポがいいので手拍子で乗りに乗った。すると「今度は日本の曲だよ!」と大盛り上がり。さてその曲は?意外にも「アルプスの少女」。スペイン語で子供も一緒に歌声が高らかになる。私はもちろん日本語で。

苦行

苦行

苦行

サアグンを出ると道は二つに分かれる。私は難度が高いと思われる「トライアーナの道」を選んだ。カルサディージャ・デ・ロス・エルマニージョスに一泊する。
翌日の道のりは村無し、水無し、もちろんスーパー無し、バル無しのアスファルトの道を延々23kmも歩く苦行となった。とても寒く、ランチを食べる場所も、風に吹きさらされる冬の原野の真只中である。何も考えられず意識が朦朧としてくる。昨日から2日間、巡礼者は見かけない。あ~ルート失敗の巻でした。


12月10日~12月20日
Mansilla de las Mulas~Portomarín (マンシージャ・デ・ラス・ムーラス~ポルトマリン)

エゴがいっぱい

レオンのアルベルゲでの会話。カナダ人のジュリアンが突然私にこんな質問を投げかけてきた。
「もし明日死ぬとしたら、後悔しないために、今日、何をする?」。
「嫌だ!まだ死にたくない!まだまだやりたい事がいっぱいあるの。もう一度働きたいし、ベストパートナーも見つけたいの!死にたくないの!」と反射的に私。
これに対してジュリアンは「僕はすぐカナダに帰り、家族や友人達と話がしたい」と言った。ジュリアンにとっては家族や友人がもっとも大切なものだった。私には思いもつかない発想だったわけで、エゴが強い自分の心が丸見えになった一日だった。

オスピタル・デ・オールビゴに長いオールビゴ橋がある。そこまでは何キロもの林道を歩くので、疲れも激しい。橋が見えてほっとした。

夕食なし?

ラバナル・デル・カミーノのアルベルゲではジュリアンとアレキサンダーと3人だけだった。
着いたらオーナーが言う。「夏場、ここにはスーパーが一軒ある。でも冬は閉まってるよ」。3人とも唖然・・・
ジュリアンはスープを少し、アレキサンダーはオイルサーディン、私は玉ねぎ1個しか持っていない。パンのひとかけらもない。これで何ができるというのだろう。今日の夕食はなし?
3人で途方にくれているところに、オーナーが登場!両手にレンズ豆、にんにく、玉ねぎ、ジャガイモ、ハムにベーコンなんとパンまで持っているではないか。「これで料理してね」なんてにっこりおっしゃっていただいて、とたんに3人、現金にも笑顔があふれてくる。食材は全てオーナーの差し入れ。なんともありがたい。
ジュリアンとアレックス2人が煮込み料理を作ってくれて、私はいただくだけでした。ごちそうさま。感謝、感謝の一日でした。

マンハリンのアルベルゲ

マンハリンのアルベルゲ。

マンハリンのアルベルゲ。

オスピタレーロのトマスさんが何もない廃村に移り住んで建設したという。ここはオスピタレーロとして働く希望者が多いと聞いていたが、この日も2人のボランティアさんがいた。簡素なトイレが屋外にあり、シャワーはない。ベッドは屋根裏でしんしんと冷える。それでも私が最高に気に入ったアルベルゲの一つである。
寄付金(Donation)しかお渡ししていないのに、ランチ、夕食、朝食までいただいた。彼等のビックなハートをありがたく頂戴した。14匹もいる猫ちゃん達、夜は外で寝るそうである。標高1400㎞を超えるこの場所、雪が降る中、猫ちゃん達も3,4匹重なりあって寝るそうだ。自然の中、生きていこうとする知恵をちゃんともっている。
ここで見る天の川、地球をおおって瞬く銀の川は素晴らしく綺麗で、寒さも忘れて眺めていた。

標高1500mでの開放

標高1500メートル近いイラゴ峠の頂上付近、聴き慣れたギターの音が聴こえてきた。アレックスがレオンで購入したギターを、ときどき歩む足を止めて弾いている。
その音がする方向にはアレックスと2人の男女(二人はヒッピーだった)が、小さな三角形を作って大地に座っていた。私もその仲間に入り、アレックスはギター、男性はバケツと小枝の太鼓、私は杖と小枝の木琴で合奏した。踊りたくなったので、雪が残る草原で二人の演奏をバックにしばし時を忘れて踊った。どうしてだろう・・・身体がとても軽く動いてくれる。心身ともに開放されているのを感じた。

廃墟となった石造り住宅。ここは外気温が室内に伝わりにくいので、外は暑くても室内は涼しい。また外が寒い時でも室内は温かい。地面に直接石を置くのでバリアフリー。そして寿命が長い。木造住宅の数倍だそうである。いつか風化して壊れても全ては自然に返る。Camino沿いの石造り住宅は過疎化が進み売りに出されている家が多い。改築して住みたいものである。

雪の中の道標。
雪の中の道標。

巡礼最大の難所、セブレイロ峠にさしかかる辺りは雪景色となる。膝まで雪に埋もれ、一人悪戦苦闘しながら足を抜く。
こんなことまでして歩く自分が可笑しくもあり、一人で大笑いした。これじゃ到着するのは翌朝になりそうだ。さっさと除雪してある車道を行く。


トリアカステーラからサモスに向かう道、オルビオ川を渡す小さな橋。
トリアカステーラからサモスに向かう道、オルビオ川を渡す小さな橋。

サモスに向かうこのオルビオ谷越えは森林浴コースであり、私が巡礼道で最も気に入っている道のりである。
オルビオ川沿いに鬱蒼とした狭い山道を歩くコースだ。金茶色の柔らかい絨毯となってくれた落ち葉が私の両足を守ってくれる。


国民性の違いでしょうか?

ポルトマリンのアルベルゲでスパニッシュカップルに出会った。ジュリアンとアレキサンダーと私が交わり一緒に夕食作りとなった。
今日の夕食は豪勢なディナーでサラダ、スープ、魚介クリームスパゲィティ、ワインそしてトゥロン・デ・ヒホーナというアーモンドと砂糖を練り込んだクリスマスシーズン菓子のデザート付である。クリームスパゲィティはジュリアンと私が担当した。みんなからお褒めの言葉をいただくほど美味しく仕上がった。飲んでいたワインを入れたのが隠し味だったかしら(???)。
さてその材料を購入してくれたのはスパニッシュカップルの男性ヘスースである。ジュリアンと私は後で計算してシェアするつもりであった。ヘスースに「いくらだった?皆でシェアしよう」と言ったら、ヘスースは「いいよ。いいよ。そんな風に聞いてくれる人いないよ。今日は僕らのクリスマスイヴだと思ってるから、いらないよ。聞いてくれてありがとう」と言うではないか。なんて素晴らしく懐の広い方なのでしょう。というわけで、ありがたく頂戴することにした。
スぺインの人は気軽にバルで奢ってくれたりする。それにしても「そんな風に聞く人いないよ」とは国民性の違いだろうか。ありがとうヘスース。


12月21日~12月28日
Portomarín~Fisterra (ポルトマリン~フィステラ)

暖かいシャワーを選んだ私

ガリシア地方に入るとほんとうに小さな村々をたくさん通り過ぎる。
大きな町アルスーア手前のリバディッソのアルベルゲで泊まる。到着したのは夜7時過ぎ、もう日は沈んでいた。
アルベルゲに入ったらまずチェックすることがある。それはヒーターがあるか?毛布があるか?だ。それらが無くても我慢はできるが、肝心なのはシャワーがお湯であるかどうか?そして鍵が閉まるかどうか?だ(ガリシア地方のアルベルゲでは夜でも鍵は閉めない所が多い)。
誰もいないアルベルゲですぐチェックにかかる。シャワーは水だった。鍵のことは管理者が来るまでわからない。次のアルスーアまでは後3km、ゆっくり歩いても40分くらい。シャワーを浴びずにここに泊まるか次に行くかをしばし考えて、暖かいシャワーを選んだ。遅くなりついでにバルに寄り、またまたカフェ・コン・レチェをゆっくりいただいた。
アルスーア到着は夜8時半。へとへとの私を巡礼仲間が歓迎してくれた。嬉しい限りであった。

感謝の石

サンティアゴ近くになるとラバコージャにある空港から轟音と共に飛び立つ飛行機が見えてくる。もうすぐサンティアゴだと思うと、嬉しさと安堵がこみあげてくる。その一方で、もう終わりかと思うと寂しくもある。
別れを惜しみ最後の森林道で何度も休憩し、ここまでの道のりを振り返る。出会った全ての方に感謝、見守りつづけてくれた大自然に感謝、応援してくれた家族と友人達に感謝、そして私の命があることに感謝。感謝の石を道標の上に置いて歩いた。

クリスマスイヴ。サンティアゴのパラドール(国営ホテル)での夕食風景。というと豪華なディナーのように思えるが、パラドールが巡礼者に無料で食事をふるまってくれるのである。
パンプキンスープ、イカの煮込み、ライスにパン、ワイン、果物と賄い風ではあったが、無料だから文句は言えない。巡礼者全員でいただくクリスマスディナーは最高のテイストでした。パラドールさん、ありがとう。(注:毎日、先着10名の巡礼者に無料で食事を提供している)

クリスマス(25日)の午前12時から行われたサンティアゴのカテドラルでの特別ミサ

クリスマス(25日)の午前12時から行われたサンティアゴのカテドラルでの特別ミサの場面。

賛美歌が厳かに歌われ、イエス・キリストの誕生を祝った。


全ての夢が叶う

ここサンティアゴのカテドラルには聖ヤコブ様の棺が祀られている。銀で細かな彫刻が施された立派なものである。その前に立って手を合わせた瞬間、眉間から声が聴こえたのである。「全ての夢は叶っているんだよ」と。声は低く優しい。それに木霊(こだま) するように浮かんだ言葉は「そう生きていることなんですね!」。同時に涙が溢れでた。教会の椅子に座り、今生きてることの喜びを全身で感じた。そう生きてるだけで、ただそれだけでもう私の夢や願いは全て叶っていると静かに心で受けとめた。

クリスマスの日

サンタの帽子を被って歩いた。車道からはクラクションで応援(?)。村の人達はニヤニヤして道案内(聞いてもいないのだけど)、指差して大笑いしている人もいた。私はクリスマスを楽しみたかっただけなんだけど、人々の反応が面白くなってきた。たくさんのスマイルと親切を頂戴しました。

地の果て、フィステ-ラ

サンティアゴからさらに西に87㎞程にある港町が巡礼の最終地点、フィステ-ラである。サンティアゴからフィステ-ラまでの道のりは道標も少なくなり、道も整備されてない所が多く、特にセー(Cée)の港町手前の岩下りは厳しいものとなった。この岩々の道は両脇の山より1mくらい窪んでいて、大雨でも降ったら完全に川になるのではと思ったくらいだ。さて、そこから64㎞を2日間歩いてやっと「地の果て」フィステ-ラである。ここは岬の先端で、中世以降、巡礼者が着衣、靴、杖などを燃やした所である。当時は害虫が付着して衛生的に良くないという理由から燃やしたそうだ。残念ながら今、その火はともされていない。私は巡礼初日の39日前にピレネーで拾った杖(サンタさんと名付けてた)を、岸壁に群生する茨の枝に引っかけ、そして太陽が照らしてくれるように葬った。近くでそれを見ていたドイツ人観光客が「君の友達だったんだね」と癒すように話しかけてくれた。今でもサンタさんはフィステ-ラで寝ているだろうか。そう祈る。フィステ-ラから黄色の矢印の道標はもちろんない。これからは私自身が矢印を刻んで行くのである。照らしてくれる太陽にそう誓った。

地の果て、フィステ-ラ

地の果て、フィステ-ラ

道標には0.00kmと刻まれていた。終わった――――!