Camino de Santiago

銀河の道 Mitsue Kojima

第9章 2006年夏の巡礼

2006年8月18日~9月08日
2006年9月17日~9月30日
2006年9月 9日~9月16日はポルトガル観光
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~サンティアゴ・デ・コンポステーラ

8月18日~8月28日
Saint-Jean-Pied-de-Port~Santo Domingo de la Calzada
(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ)

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーのジットでの夕食

ここサン・ジャン・ピエ・ド・ポーはフランスとスペインの国境に近い大きな町。区切りとしてここで帰宅の途につく者もいて、フランスから一緒だった数人の巡礼仲間ともこの地でお別れとなった。また一方でこの町から出発する者もいる。別れを惜しみ、また新たな出会いを喜び、ディナーは盛り上がる。

ミサで日本語が

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから巡礼最初の難関ピレネー山脈越え。強風の中、風に倒されそうになるのを足で踏ん張りながら到着したのはロンセスバージェスだった。
ロンセスバージェスのアルベルゲ(修道院経営)は1部屋に140ベッドを備えたマンモスアルベルゲ。そのアルベルゲも午後6時にはいっぱいとなるから巡礼者の数に驚いてしまう。
ロンセスバージェスの教会で、人生で初めてミサに出席した。教会には多くの人々がおり、厳かな雰囲気の中、クリスチャンでもない私は出席していいものかどうか不安でドキドキだった。同行してくれたドイツ人のギャドに、小声で「あのね、私、初めてミサに出席したの。何にもわからないんだけど、どうすればいいの?」ギャドがミサの間中、小声で成り行きを説明してくれたので、不安は解消された。ありがたい。
ミサで司祭は各国語で巡礼者を労った。驚いたことに日本語で「巡礼の道行きを祝福します」とおっしゃるではないか。このミサに出席していた日本人は私だけだったので、私だけのために・・・と嬉しかったが少し恐縮した。司祭の日本語は綺麗な発音でパーフェクト!

スナックディナー

トリニダード・デ・アーレのアルベルゲで、ブラジル人ルイーズとスナックディナーをご一緒した。到着した日は日曜日だったが、すっかり忘れていた。
スペインでは日曜日、ほとんどの店が閉まっている。一軒だけ開いていたお店はスナック菓子ショップの店。それでもないよりはましとポテトチップスとカールのようなお菓子を皿に盛り、ナイフとフォークをとり、胸元にナプキンをつけ「最高のディナー!」と2人で盛りあがる。何でも楽しむことはできるんだ。この日から日記に曜日を書くことにした。

恋する人

都市パンプローナを過ぎて、太陽の照り返しがきついアスファルトの道をひたすら歩く。そしてペルドン峠に入ると、太陽の日差しが私を苦しめる。木々はほとんど無い、村も無い、もちろん水飲み場も無い。木陰が無い道が6km続く峠越えである。気温は40度くらいではないだろうか、砂漠のような所である。

その道をトロトロと歩いていると一人の若い男性が話しかけてきた。
しばしお決まりの「どこから来たの?」、「今日はどこから歩いてるの?」、「どこまで行くの?」と会話。男性はさて本題とばかりに「スイス人のエミ知ってる?」。 あ~きたきた・・・そう、この巡礼道ではスイス人のエミとフランス人のマリレンは、若くてスタイル抜群の可愛いお二人で、人気を集めていた。この男性はエミに会いたくて、先を行くエミを追いかけているんだなとピンときた。
私は「うん、昨日パンプローナで会ったよ。今日はどこにいるか知らない」と答えた。男性は「そう」と嬉しさを抑えたようにそっけなく、「今日は調子がいいので急ぐね」と言って早足に過ぎていった。
巡礼道ではこういったお気に入りの子をキャッチするために、急ぎ足で歩く男性(女性の場合もある)を時々見かける。追う者の凄いエネルギーに感心するが、正直なところ妬みも隠せない。

エステージャの町の朝市

日本人大学生テル君と出会い、エステージャの町の朝市に寄る。
出店でハモン(生ハム)をぶら下げて売っているお肉屋さん。スライスして少ない枚数でも売ってくれる。味はお肉に塩がほどよく染み込んで絶品である!写真撮影の後、その肉を購入し、山でサンドイッチにしてランチにした。

世界遺産、ジュソ

アソーフラで再会したテル君に誘われ、そこから巡礼道を外れ、修道院“ジュソ(Yusoユソ)”というユネスコ世界遺産に行った。これが大変だった。とんでもなく遠くて太陽の日差しがじりじり照りつける中を25kmは歩いたのではなかろうか。途中で戻ろうかどうしようかと二人で思案したが、「ここまで来たんだもの。行くだけ行ってみよう!」と決断して歩く。
辛さを紛らわすために、二人共大声で歌う。人一人通らない道なのでよかったが、まるで気でも狂ったかのように歌いつづけた。あまりの暑さに意識が朦朧としてくる。
なんとか到着したジュソは11世紀に建立されたもので、ロマネスク様式の趣十分の重厚たる修道院であった。現在はその一部がホテルとなっていて、入り口から真紅の絨毯が敷かれている。気がひけたが思いきって入った。それからフロントに頼んで、タクシーを呼んでもらいサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのアルベルゲへむかった。車という文明の利器がこれほどありがたいと思ったことはない。それほど疲れ切っていたのである。
アルベルゲ手前でおろしてもらう。やっぱり巡礼者としてタクシーでアルベルゲの前で車をおりるわけにはいかない。日本人の面子に関わってしまう。


8月29日~9月8日
Santo Domingo de Calzada ~León (サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ~レオン)

神秘な教会で野宿

フランスの山で野宿体験したことのある私は、ぜひスペインでも体験したかった。 それでも一応女性である私は一人では怖くてする勇気がなく、一緒にする人を探していた。
偶然出会ったのがフランス人のシスール。彼は全行程2000kmという長い巡礼をしていて、金銭的な理由もあるが、アルベルゲに泊まると、皆の「疲れた・・・・・・」という声を聞くので余計に疲れを感じるそうで、野宿をして歩いていたのである。
その彼に野宿場所として案内された先は、トサントスのメインロードから後方の山を1km登った所の山肌にへばりついてるように見えるビルヘン・デ・ラ・ペーニャ教会だった。小さな白い教会で、ガイドブックにはいつも鍵がかかり神秘は隠されたままになっていると載っていた。その神秘的な教会の横は横幅3m、奥行き2mくらいのオープンドームとなっていた。空いっぱいに散らばる星々と月光が私を慈しんでくれるのを感じながら寝袋に入った。

サン・ファン・デ・オルテーガのホセ神父様
サン・フアン・デ・オルテーガのホセ神父様

手作りソパ・デ・アッホ(にんにくスープ)を注ぎ入れてくれるこのホセ神父様、は半世紀以上も巡礼者のために毎日、にんにくスープを作りつづけているそうである。年季の入ったホーローのカップにスープが注がれていく。パンが入ったボリュームのあるにんにくスープをいただいたら、ホセ神父様は一人一人に握手をしてくれた。ホセ神父様、いつまでもお元気でいらしてください。
ちなみにこのスープはミサに出席しないといただけないので、みなさん必ずミサには出席してね。
(注:2008年の初め、ホセ神父は亡くなられたそうだ)


私宛の袋の中身とは?

アルコ・デ・サン・アントン(下の写真)に到着すると、ホスピタレーロの方が私を見るなり「日本人のみつえさんですか?」と聞いてきた。

アルコ・デ・サン・アントン(下の写真)に到着すると、ホスピタレーロの方が私を見るなり「日本人のみつえさんですか?」と聞いてきた。

アルコ・デ・サン・アントン(下の写真)に到着すると、オスピタレーロの方が私を見るなり「日本人のみつえさんですか?」と聞いてきた。
どうして私の名前を???と考える間もなく彼は門まで私を連れて行った。その門にはA4サイズ程の袋にマーカーで大きく色とりどりに書かれた私の名前が貼ってあるではないか!彼がそれを私に手渡してくれたので、中身を見たらそれは・・・お恥ずかしくなる話である。昨日泊まったタルダッホスのアルベルゲに置き忘れた肌着だったのだ。もう大赤面!タルダッホスからサン・アントンまでは28kmあり、タルダッホスのホスピタレーロの方が車でここまで持って来てくれたそうである。なんともありがたいことである。ご親切は一生忘れません。

アルコ・デ・サン・アントン、11世紀に修道院と病院を併設して建てられた。
アルコ・デ・サン・アントン、11世紀に修道院と病院を併設して建てられた。

この地帯はメセタ地帯といって何もない乾燥地帯である。その中に聳え立つのがこちら。強風により風化して一部分だけ残っている。この中の右手側に、ビニールのシートで外と仕切られたアルベルゲがあり、そこに宿泊した。まるで時が止まったかのようなサン・アントン。夕日だけが時を刻んでいた。


猛暑の中、カストロヘリスを過ぎてモステラーレス峠を登る巡礼者。
猛暑の中、カストロヘリスを過ぎてモステラーレス峠を登る巡礼者。

何もないメセタ地帯を、息を切って汗だくだくで登るこのきつい峠。頂上からは遠くに霞んで見えるカストロヘリスの町並み。随分歩いてきたんだなと我ながら褒めてあげたくなる。


変化する人々

カリオーン・デ・ロス・コンデスのアルベルゲに到着すると、連日よく見かけた女の子が私に近づいてきた。
彼女はオーストリア人でボランティアをするために日本を訪れたことがあるという。話もはずみ、彼女と同じオーストリア人のリチャードを思い出した。もう1か月は会っていない。
「ねえリチャードを知ってる?」、「ううん、知らない」と彼女。
とその時、リチャードが私たちの目の前に現れたのである。1ヶ月前に出会った時、眼がすわっており、誰が話していようとお構いなく人の話を遮って、自分の話をのべつ幕なしに話していた。私はうんざりしていた。周りの人々も彼がくると本を読み出したり、席を立ったりするので、雰囲気が一変した。
そのリチャードが別人のように爽やかな笑顔をしている、そして人の話を聞ける人となっていたのである。「リチャード変わったね。もう別人のようだよ」と言ったら、リチャードは「そう」ととても嬉しそうにしている。
リチャードだけではない、この巡礼道は一本道で、みんなサンティアゴを目指しているから、抜きつ抜かれつして、何日かした後に再会したりする。その時、外見からでも見てとれる心の変化がある。人と自然の純粋な愛にふれて、人はいい方向に変化していくのではないか私は思う。

韓国では殴られるような事とは?

マンシージャ・デ・ラス・ムーラスのアルベルゲでは、連日同じ宿になる若い美男美女のスパニッシュカップルが今日も同じ部屋である。このカップルは周囲を気にせず、いつもべったりとくっつきキスの連発、そして同じベッドに寝ているのである。
昨日、隣のベッドに寝ていた私は隣からくる話し声とときどきする物音が気になっていた。二人は美男美女であり、それも人目を引いた。ヨーロッパと日本の国民性の違いとはいえ、ここは巡礼宿、あまりに度が過ぎてないだろうかと気になって、友達になったハンガリー人アティラに聞いてみた。彼は笑いながら「ヨーロピアンには普通のことだよ。自然じゃない」。私「日本では公共の場では許されないのよね」。彼「愛しあってるカップルなんだよ」。そうかやっぱり国民性の違いというしかないか。 今度は韓国人のジョンに聞いてみる。彼「韓国では、あのようなことをすると年寄りに殴られる」だって。笑えた。国民性ってずいぶん違うんだな。

突然ポルトガルへ脱出

9月8日レオンにて。フランスのル・ピュイをでてからこの日で巡礼50日目となる。連日の焼けつくような日差しと多くの巡礼者の中、プライバシーもほとんどない状態で、精神的にも肉体的にもかなり疲れていた。
巡礼道を脱出すべくこの日の朝、突然思い立ってポルトガルのリスボン行きのバスに乗り込んだ。この時点でもう巡礼道に戻るつもりはなかった。もう十分!と思っていた。しかし8日間ポルトガル観光した後、再びレオンに戻り巡礼道を歩くことになった。まだ巡礼道で学ぶべき事があるのに気づいたからだ。


(9月9日~9月16日はポルトガル観光)
9月17日~9月26日
León~Portomarín (レオン~ポルトマリン)

巡礼道を脱出したわけ

ポルトガルに約一週間滞在中、考えた事は「なぜ巡礼道から脱出したか?」である。
9月8日までの50日間の巡礼中、アジア人はとても少なかった。そういった意味で私は有名人となっていたようである。私の噂を聞いて、初対面なのに声をかけてくる人もいた。「あなたは有名だよ。みんなが助けてくれるから安全だね」と言ってくれる人もいた。気づかぬ間に写真を撮られたこともある。日本人が歩いているのは、それほど珍しいのかもしれない。
だがしかし有名であるということは、私が知らない人でも私を知っているということであり、バルや公園で休憩していても気が休まらない。また巡礼者の数が多過ぎてアルベルゲは満杯、バルやレストランでも人が溢れている。どこに行っても人人人人人・・・・なのである。私は人々から逃れ誰も私を知らない所に行きたかったのである。後から思えば自意識過剰、人々の親切を素直に受け入れられず、ハートが閉じられていたのである。
もう人を怖れることはない、ハートを開こう、そう意識を変えて9月17日再びレオンに戻った。大都市レオンも日曜日のせいか、歩いている人は疎らで、アルベルゲに知っている顔ぶれは一人もいなかった。ここから新たな出会いがスタートした。(レオンに到着した時はこんな風に思ったが、夏場、正直ここには2度と行きたくない!と思う。だってもの凄い人の数だから。野宿して歩くのならいいかもしれない)

アルベルゲの巡礼者の靴置き場

アルベルゲの巡礼者の靴置き場。
これはその一部でこの3倍の巡礼者が宿泊している。


愛を知った女の子

レオンから時々見かけたが、犬を連れた一人の女の子がいた。
彼女はロングスカートを穿いていたが、元の色がわからなくなるほど薄汚れていた。目は黒く澄み、長い黒髪を二つに分けて太い三つ網にしていた。その雰囲気から毎夜、野宿していることが窺えた。犬を連れた巡礼者は皆そうしているが、女の子が野宿していたのには驚いた。後に知ったのだが彼女のフランス名はソフィ。一見して彼女はヨーロッパの少数民族だった。だが目鼻立ちのはっきりしたその顔は凛としており、そこからは穢れの無いピュアな人間像が見えた。興味にかられて、何度も彼女に話しかけようと試みたが、彼女のはにかんだ笑顔の奥から「来ないで!」というシャットアウトしたものを感じていた。他の巡礼者と話している姿は一度も見かけたことはなく、誰も彼女に近づく人はいない。私も仕方なく遠巻きに見ているだけであった。
彼女は愛犬とだけ会話をして、人々にはハートをクローズしている様子である。そのソフィの愛犬がある日、交通事故に巻き込まれて天に召された。その後、ソフィに近づき、慰めながら一緒に野宿をして歩いた一人の男性がいた。アイルランド人のピーターと言った。親子程の年齢差がありそうであった。数日後、プラス・デ・レイの通りを歩いていると、道の向こう側から私に手を振るソフィがいた。その時ピーターも一緒だった。ソフィの笑顔は開け放されたものに変わっていた。ソフィはピーターと過ごしてから人の愛を知ったのではないだろうか、そして愛犬はソフィのために自ら死を選んだのではないだろうか。ソフィが人の愛を知るために。私はふとそう考えた。

イラゴ峠手前の廃村となったフォンセバドンの村
イラゴ峠手前の廃村となったフォンセバドンの村

イラゴ峠手前の廃村となったフォンセバドンの村。

この辺の村はスペインの中でも、とりわけ貧しい村だそうだ。
フォンセバドンの村に入るとこの十字架が人々を向かえ入れてくれる。強風が吹き、茶色の砂埃が舞う中、朽ち果てた家々が今にも崩れ落ちそうである。
こんなゴーストタウンのような所にもアルベルゲは2ヶ所ありレストランもある。


サン・ロケ峠にある大きな巡礼像。

サン・ロケ峠にある大きな巡礼像。

大地にしっかり着いた足はミレーの「種まく人」を思わせる。強風に吹かれ帽子を押さえる姿は、この辺りの風の強さを物語る。この日もひどい雨と風であった。


押し売りばあさん

セブレイロを降りる途中の小さな村(今ではその地名が思い出せない)で小雨降る中、一人のおばあさんがお皿に5cmは重ねてあるだろうクレープをいきなり差出し、「どうぞ、どうぞ」と言う。ブラジル人男性と韓国人男性と一緒にクレープを手にすると、ばあさんはその上に塩を振る。口に入れたとたんにばあさんは「50セント」と言い手を出す。こりゃ押し売り!まあ50セントなので、クレープを作ってくれた労いかしらとお渡しした。一枚50セントで20枚はあるだろうから全て押し売りしたら10ユーロ(約1500円)。いい商売だな。でもおばあさんには、ほどほどのお金で余生を楽しんでほしいなと思った。

魔物の役目

トリアカステーラのアルベルゲは4人一部屋で2段ベッドが2つあり、3人の男性と私一人だった。
深夜1時頃だろうか、部屋の外から大声で怒鳴る声と悲鳴が聞こえてきた。驚いて目を覚まし、隣のベッドを見ると空で、上のベッドの方はいる様子であった。私は怖くてベッドから出ることが出来ず、そのまま騒ぎの声だけを聞いていた。
しばらくすると騒動が静まったので廊下に出てみると、一人の女性が「私、時計を盗まれたのよ、他の人はお金を盗まれたの」と恐怖にひきつった顔をしている。近くにいる人に聞いたら、あるスペイン人男性がお酒を飲みすぎて酔っ払い、気が大きくなったのか各部屋に盗みに入り、それに気づかれナイフを振り回して暴れ、皆は杖を片手に抵抗したそうである。同室のドイツ人の方はズボンを盗まれたそうで、私の部屋にも侵入していたことを後から知った。
警察が来たのは2時過ぎで、盗品を全て返却してもらって一件落着!巡礼道は善良な人が多いがたまに魔物もいる。魔物が見せてくれたものは、人々の心の中に隠れ潜んでいる悪の細胞ではないだろうか。私にはそんな風に思えた。


9月27日~9月30日
Portomarín~Santiago de Compostela   (ポルトマリン~サンティアゴ・デ・コンポステーラ)

恋に落ちた二人

サンティアゴまで後95kmという所を歩いていると、一軒のBARから出て来たカップルがいた。
そこでバッタリ再会したのは、8月18日ロンセスバージェスのアルベルゲで出会ったお二人である。懐かしくて嬉しくてたまらず、思わず二人と抱き合った。
それにしても私がポルトガルで8日間過ごしている期間差があるのに、どうしてここにいるのだろう。聞いてみたらなんとも切なく微笑ましい話だった。二人はロンセスバージェスで出会ってから恋に落ち、ずっと一緒に歩いていたそうである。サンティアゴが近くなり、別れを惜しんで日に日に歩く距離を縮めているという。
男性はオランダ人のヤン、彼はロンセスバージェスで出会った時、「僕は会社を退職している。妻には先立たれ、一人娘はもう家を出ている。これから僕は何をしたらいいのだろう?」と訴えるように言っていた。その彼が今恋をしているのである。なんと素晴らしいことであろう。女性はカナダ人のダニエル、彼女は私に「カミーノは必要なものを与えてくれる」と言っていた。
後日談だが、ダニエルはサンティアゴから彼の住むオランダに滞在した後に帰国、その後ヤンはカナダを訪問し、現在はほとんど毎日電話で話しているそうである。このように巡礼道で出会って恋に落ち、結婚する者もいるという。

アルカ・ド・ピノ(ペドロウソ)のアルベルゲでのパーティー風景。

アルカ・ド・ピノ(ペドロウソ)のアルベルゲでのパーティー風景。

サンティアゴまで後20km、長かった道のりも明日で終わりとあって飲めや歌えで大盛り上がりの夜。


雨もかまわずサンティアゴ到着を喜び、抱き合う男性二人。

雨もかまわずサンティアゴ到着を喜び、抱き合う男性二人。二人はしばらく抱き合ったまま。

その姿に私も感動!


3日間前に日本人のアキ君に出会い、二人で一緒にサンティアゴにゴールした。これだけ外人が多い中、日本人と一緒にゴールするとは思わなかった。ありがとうアキ君。パーティー参加者の国籍はドイツ、イギリス、ハンガリー、デンマーク、スペイン、ブラジル、日本だった。ここでアキ君が言った印象に残る言葉を記しておこう。「言葉は大事なものではあるが必ずしも必要なものでもない。相手を理解しようという意識の方が大事」


サンティアゴのカテドラルでミサの後に行われた大香炉ボタフメイロ風景。
サンティアゴのカテドラルでミサの後に行われた大香炉ボタフメイロ風景。

長い巡礼を終えた巡礼者の心身浄化のためにボタフメイロは焚かれるそうである。7人の司祭が綱を引きボタフメイロを操る。香を放ちながら天井高く舞うそれは感動的だった。ミサでは司祭が当日サンティアゴに到着した巡礼者の国籍を述べてくれる。「ハポン(ジャパン)」と聞こえた時は涙が出てきた。


サンティアゴ到着

65日間、1548kmの巡礼(フランスのル・ピュイからサンティアゴまで)は終わった。サンティアゴのカテドラルの前に立ち、終わりを淡々と受け止め、心が空白になるのを感じた。

※編集部注/彼女はフランスのル・ピュイからスタートしているので、かなり長い旅となっている。