Camino de Santiago

銀河の道 Mitsue Kojima

第3章 なぜ巡礼を?

私が巡礼道で人々に尋ねたところによると、巡礼にでた理由はさまざまだった。

「祈りを捧げるために」 (敬虔なキリスト教徒)
「自分の願いを叶えたいから」
「より深いコミュニケーションをとるために」 (恋人や友達グループ)
「史跡と文化に触れたいから」
「一ヶ月のホリデーにちょうどいい距離だから」
「自分でも良くわからない。歩いてみたら、わかるかもしれないと思って」

一番多かったのは、「自己を見つめ直したいから」という言葉だった。
そういう私もそれまでやっていた2つの仕事を辞め、自己内視のために、巡礼にでたのだった。あまりにも多忙な日々に、いつしか自分を見失っていることに気がついたからであり、「もう一度、本来の自分を取り戻したい!」そう願っての巡礼であった。
日々の多忙な生活に翻弄される中で、人生における本当に大切なことを忘れつつあったのだ。仕事を辞め、名刺のないこの空白の時間を、自己を内観するために、巡礼道を歩くことにあてたのである。

追記しておこう。巡礼手帳(クレデンシアル)には、こう書かれている。

『何人にも、門は開かれている。病人にも健康な人にも。カトリック信者はもちろん、異教徒、ユダヤ教徒、異端者、怠け者、愚か者にも。聖なる門は、心清き人にも悪しき人にも開かれている』

ちなみに私はクリスチャンではない。中世の時代イスラムと戦ったこの道も、現代ではずいぶん寛容になった。神を信じていない人もこの道を歩き終える頃には、神を信じるようになると言われている。そして今までの全ての罪は赦され、新しく生まれ変わるとも。

※編集部注/クレデンシャルの言葉
13世紀の詩が引用されている。