Camino de Santiago

巡礼の精神 (フランシスコ・シングル)


人間はみな巡礼者

 聖地への巡礼という行為は、世界のほとんどの宗教において、いつの時代にも見られるごく自然な信仰表現である。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の場合は、聖アウグスティヌスの説く精神性が表しているように、その行為は、いわばこの世の縮図のようなものである。彼の教えによるキリスト教は、12世紀と13世紀のラテン語圏のキリスト教の精神世界において主導的なものだった。聖アウグスティヌスにとって「巡礼」とは、この物理的な世界における人間の努力の集中が形となって表れたものだった。巡礼の道とは、神々しい天上世界に誕生した人間が、地上の現実世界で傷つきながら暮らした後、また光にあふれた天上へと還って行く、その全過程なのである。

 キリスト教世界における巡礼は、初期の頃、ローマやエルサレムへの巡礼が盛んで、巡礼者たちは訪れた各地の見聞にも熱心だった。ローマでは、聖ペテロや聖パウロの墓、遺物の多いカタコンベ(地下墓地)、またコンスタンティヌス帝によって建てられた教会堂(後のサン・ピエトロ大聖堂)などを訪れた。そして最も重要な聖地エルサレムでは、聖書の「福音書」や「使徒行伝」に書かれている場所、イエス・キリストの生涯に関係する場所などを訪れた。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は、9世紀の初期に始まり、10世紀に入って巡礼者の数を急激に伸ばし、12世紀にはキリスト教世界における巡礼地として確固とした地位を築き上げた。サンティアゴへの巡礼という現象は、イエス・キリストの使徒の一人である聖ヤコブ(大ヤコブのこと。スペイン語ではサンティアゴ)への崇拝を起源としている。この時代、一般的にカトリックでは、情熱的な宗教心から、聖人たちの遺物のほかイエス・キリスト、聖母マリア、十二使徒、殉教者たちにゆかりのある遺品を拝む習慣があった。

 西ゴート族の時代が終わり、イスラム教徒の侵入の後、8世紀のイベリア半島で、キリスト教社会は、スペインの北部(現在のガリシア、アストゥリアス、カンタブリアの一部)だけとなり、アストゥリアス王国と呼ばれていた。その中で、サンティアゴ(聖ヤコブ)は守護聖人として崇められていた。ヨーロッパでは、少なくとも7世紀以来、「使徒行伝」というキリスト十二使徒にまつわる文書によって、聖ヤコブがスペインで布教を行っていたことは知られていた。そして、その後いくつもの伝承により、聖ヤコブがこの世の西の果て、つまりスペイン最西端のガリシアで布教したというのは、紛れもない事実だと繰り返し主張されてきた。8世紀の後半、ベーダ・ヴェネラビリスというイギリス人の修道士が、聖ヤコブの墓は、イベリア半島ガリシア地方の海(大西洋)に近い所にあると書いていた。聖ヤコブの遺骸の発見は、820年から830年の間とされ、この発見により、それまでの推測、伝説、伝記などが事実であったと証明された。


聖ヤコブ信仰の精神

 聖ヤコブ崇拝は、当時のヨーロッパ・キリスト教社会における人々の文化的、宗教的な行動の表れであり、サンティアゴ巡礼は、巡礼者たちにとってまず神聖な空間として存在していた。それは隠棲の道であり、またイエス・キリスト、聖母マリア、そして聖ヤコブや他の聖人たちによって道中を護られながら達成する自己実現の道だった。この慈悲と敬虔な精神にあふれた巡礼街道では、最終目的地のサンティアゴ大聖堂だけでなく、その街道沿いにある無数の聖所を訪れ、宗教的な遺物を拝むことによって、奇跡に出会った巡礼者たちもいたという。それこそは熱心な信者たちがもっとも望んだことだった。

 なぜ、サンテイアゴ巡礼がこれほど支持されたのか。実際のところその理由を解明するのは簡単なことではない。しかし、中世キリスト教の宗教的な精神性や、聖遺物に対する厚い信仰心などに起因することは間違いない。聖なる空間における奇跡の個人的体験や聖人の遺骸などに対する畏敬の念は、現代を生きる我々には想像もできないほど神聖なものであったに違いない。寛容性の強い宗教世界、精神的な個人体験、そして中世の社会心理的な雰囲気が一体となって、サンティアゴ巡礼は成功したと思われる。多くの巡礼者たちは、その敬虔さ、慈悲の心、そして罪の償いなどを表現する手段として、聖地サンティアゴへの道を歩いたのである。

 サンティアゴ巡礼は、その後、宗教世界の精神的な儀式にとどまらず、神に近づく手段として機能していくことになる。巡礼街道は、神聖な空間であり、そこにおいて巡礼者たちは精神的に自らを神に捧げ、慈悲の遂行や助け合いなどを通して、超自然的な神秘体験をすることを望んだ。中世の時代、サンティアゴ巡礼の道は、物理的な道というよりは象徴的な「道」だった。それは魂の浄化を行う手段であり、それによって、巡礼者たちは、神と人間の媒体としての聖ヤコブを通して、神の存在を身近に感じることができた。巡礼者たちの肉体的、精神的な苦行は、サンティアゴ大聖堂で免償を受けることで報われた。自分自身のためでなく、家族や友人、そのほかの生者や死者の代わりに巡礼しても、巡礼者を媒体として、免償を受けるべき人たちに免償は施された。

 聖ヤコブの巡礼街道は、生者と死者、個人と集団、その全てに対して浄化作用が働いた。病人や罪の意識に悩む者、罪を償わないで死んでしまった者など、巡礼して免償を受けるのは本人でなくてもよかった。災害、伝染病、戦争などに苦しむ教区全体の信者たちのため、時には町全体のために代行巡礼が行われた。巡礼者の動機が何であれ、彼らは出発前に各自の教区でミサを行い、道中の無事を祈って、巡礼に持って行く革袋と杖を清める儀式をした。

 巡礼者たちが無事に自分の生まれ故郷に帰ってきたとき、ほとんどの者が、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の門の近くで買った聖ヤコブ巡礼者のシンボルである帆立貝の貝殻を首からさげていた。この貝殻について、12世紀のサンティアゴの神学者たちは次のように言っている。「貝殻はキリスト教信者の善行と巡礼による精神の浄化の象徴である。また巡礼者は、巡礼によって神の慈悲と愛が深まり、魂の安らぎを得ることができると信じていたため、この貝殻を身につけた」。後世になって、巡礼者たちの多くは出発前に、帆立貝の貝殻を身につけるようになった。巡礼者であることを証明するとともに、キリスト教徒として善を行う決意を周囲に示すようになったのである。


巡礼の個人的体験─出会いと思索のための道

 サンティアゴ巡礼では、巡礼者たちは、内心において奇跡的な体験をすることを望み、また、罪が償われることを願いながら歩き続けた。それは、はるか彼方に存在するサンティアゴ大聖堂へたどり着いたとき、信者たちに対する寛大な免償制度によって実現された。

 巡礼者の個人的な体験は、西洋キリスト教世界の精神性と中世の歴史そのものとしてとらえられる。それはある一時期だけに存在したような特別な遺産ではない。その巡礼は、中世の精神的、文化的な行為として表現され、また、当時のヨーロッパ各地で広く受け入れられた、いかにも人間らしい行為の象徴だった。今日、我々が生活している21世紀においても、このような精神世界は、サンティアゴ巡礼の道に見つけることができる。それは、サンティアゴ巡礼道の持つ大きな特徴であり、この道を歩くことによって、精神や寛容性を深め、また聖ヤコブ信仰に対する宗教的行為を達成することができるのである。

 実際に、サンティアゴ巡礼の道は、現在においても、この世界、全人類、そして神に対する愛と助け合いの精神を守り続けている。この世界的に重要な人類遺産としての巡礼の道の持つ文化的および象徴的な価値は、千年もの間に渡って守られ、維持されてきた。道路や橋なども建築され保存されてきた。また、沿道の町も整備され、教会、修道院、大聖堂などの宗教建築物の建設が行われた。そして、何よりも、この巡礼の道によって、寛容性が高く、慈悲の心に満ち、歓待の精神にあふれた、人間として最高に幸福な精神が生み出され、何世紀もの時を経て世界中に広められた。それは、西洋世界の巡礼の歴史においても、特に際立った聖ヤコブ巡礼の特徴として考えられている。