序 神の筆になる天の書

馮驥才 (Feng Jicai フォン・ジーツァイ ふう・きさい)


 我々が韓美林のこの書道大作「天書」を手にする時、中国の書道史と芸術史における、かつてない作品が世に問われることになる。書道、絵画、文化、および文字の歴史など、多くの分野においてこの作品が持つ非凡な価値を、私は深く知っている。だから韓美林の数年にわたる長い創作期間中、その進み具合と状況を常に尋ねていた。彼は毎回私を興奮させてくれた。大声で「もう半分できた、素晴らしいよ!」と言ったり、「もうすぐ完成だ、テープカットをお楽しみに!」と教えてくれたりした。

 私をここまで期待させるのは一体どのような作品かとお思いだろうか?手に持ったその本を開いてみるといい。幾千万の、ありとあらゆる姿をした古代文字がほとばしり出てくるだろう。だが良く見ると、知っている文字は一つとしてない。怪しく、神秘的で、奇妙な、また不可思議ですらあるこの文字たちは、韓美林が勝手に作り上げたのだろうか?もちろん違う。全ては我々の祖先が丹念に創り出し、使っていたものなのだ!しかも現在まで上古の陶器片、竹簡、木簡、甲骨、岩画、石刻〔石に刻まれた文字や彫刻〕、および様々な青銅器や壷の銘文の中に残されている。これらは秦代の宰相・李斯が小篆〔字体の一種〕で文字を統一する前にはいずれかの字の異体字だったかもしれないし、或いはただ先人が何かの事物を表した記号だったかもしれない。しかしその本当の意味は、既に歴史の中できれいに忘れ去られてしまった。

 人類初期における文字の歴史は複雑で変化も多く、無秩序ですらある。公に認められた文字記号が確立される前、すべての文字はあやふやなものだった。一つの概念、一つの事物には、5種類、6種類、8種類、10種類の書き方があったが、多くの書き方は徐々に廃れて、現代人には全く読むことはできない。シュメールのウルク遺跡にある楔形文字で埋め尽くされた石版、エジプトの神殿にある大きな象形文字を刻み付けた石柱、クレタ島ファイストス遺跡の石版、またマヤの石刻など様々な場所で、こうしたはるか遠い時代の難解な記号を見ることができる。どの記号をとっても一つの謎だ。しかし韓美林は、この深い霧の中から、壮大かつ不可思議な「古代文化的感覚」溢れる世界を感じ取った。しかもその中に飛び込み、酔い痴れ、深々と浸り込んだ。

 人類文明の夜明けは、文字の誕生である。人類が文字を使用して記録や記憶を留めるようになってから、文明は精緻さと深みを増し、また蓄積されていった。古代の人々は一体どのようにして文字記号を使うことを思いついたのか、全く想像もつかない。さらに驚くべきことには、地球上の大文明が起こった場所では全て、殆ど時を同じくして――6000年前に文字が出現しているのだ!ここから分かる通り、漢字は絶対に黄帝とその官吏である蒼頡個人が創り出したのではない。それは人類史における文明の飛躍である。

 漢字が生まれた初期、人々は自発的に文字を創り出していた。想像に任せて何物にもとらわれず、自由に表現していたが、こうした時代は秦王朝が中国を統一した時に終わりを告げる。秦の始皇帝が天下統一をする上で最も重要な三つの「大計画」は、すべて宰相である李斯の考えだった。一つは軍事的に諸侯列国を次々と打ち破ったこと、二つめは思想上の焚書、三つめは文字の統一である。最初の二つは政治的な必要からだったが、最後の一つ――文字の統一は、中華文明にとって偉大な貢献となった。

 中国の国土は広大で、地域性も多様だ。各地の方言は意思疎通が困難なほど隔たりが大きいが、文字だけがどこでも通用する可能性を持っていた。しかしそのためには文字の標準化と定形化が不可欠である。このため秦王朝による文字の統一は、中華文化のまとまりを形成するのに一役買った。しかし、そこから排除された大量の文字や記号は、以来廃れて忘れ去られ、歴史の塵に紛れてしまった。後世の書道芸術の中でも、彼らが再び姿を現すことはなかった。

 これらの古代文字は、普通の人が見ると難解で不可解、怪しげで冷たい記号にしか映らない。しかし韓美林の目には、情感や表情を持つ生命に見えるのだ。こうして、失われた古代文字に関心を寄せ、研究し、それらを体得することが、芸術に捧げた韓美林の生涯における重要な一部分となった。余り知られていないが、韓美林はこの「天書」を完成させるまでに、古代文字を30年にもわたって収集してきたのだ。大量の古い陶器や銅器から、また碑文や考古学レポートから、韓美林によって探し出された古代文字は三万字を超えている!今、これらの古代文字は「天書」の中で生き生きと踊りだし、様々な姿形を見せてくれている。

 芸術史の中で、「書画同源」を主張した人はいるが、「字画同源」を唱えた者はいるだろうか?
「書画同源」は画家の主張だが、「字画同源」は文字の歴史における事実である。

 太古の人々は、ある事物を記録するのにまずその形を写した。最も古い文字は画像として捕えられ、最も古い絵画は文字としての意味も持っていた。人類最初の文字はみな象形文字に似ていないだろうか?漢字も同様だ。今後も絶えず変化していくであろうが、この四角い枠の中で千変万化する漢字には、今も目に見える絵画の遺伝子が残されている。これはまた、漢字が独特の書道芸術に転化した根本的な理由でもある。こうして「字画同源」は、韓美林の「天書」にとって歴史的起源であると同時に、文化的な根拠となったのである。

 しかし、韓美林はこれらの忘れられた古代文字をただ書いただけではない。彼は自らの魂をその中に没入させ、長い歳月の山野を越えて、古の人々の最初の思いや、原初の想像と創造の自由さに耳を傾けた。とはいえ古代文字の本当の意味は、彼にも翻訳不可能ではある――しかし彼とて執念深い古代文字学者と同じことをしたかったわけではない。彼は芸術家だけが持つ感覚で、人類最初の精神と美感とを汲み取ったのだ。

 もちろんその中には、韓美林の芸術の美も明らかにある。

 こうした美は彼の気質から来ている。重厚、雄渾、率直、自由、そして尽きることのない情熱。彼の天性の気質と、古代文字が本来持つ気質には、互いに近く、通じるものがあるのではないだろうか?どちらにしても、古代文字が彼に与えた影響が強いのか、それとも彼の芸術的個性の表出の方が強いのか、もう私にも分からない。

 画家である韓美林の書道には、絵画的感覚が色濃い。文字学的意義を持つ古代文字を書道芸術としての「天書」に転化させる際、彼の審美眼、形に対する鋭敏さ、そして視覚形式における限りない創造力が、ごく自然にその中に融け出している。

 彼は明確な意図を持って絵画を書道に介入させ、書道に一層の視覚的美と形式感を与え、さらに絵画的境地を盛り込んだ。もしも韓美林という神の手を借りたかの如き画家がいなければ、この不思議な美しさを持つ「天書」は生まれただろうか?

 「天書」は文字学の大作である。韓美林が初めて、太古の時代に散逸した各地の古代文字を収集し、書道として世に問うた。これにより「天書」はまず、古代文字の図録となった。収録された古代文字は一万字を超え、この国の先人たちの限りない文化的創造力を、豊かに目の前に示してくれる。韓美林はあたかも、五千年の中華文明の源流へ我々を導いてくれるかのようだ。今この場所に立って目をやると、幾千幾万の古代文字が形を変え色を変え、大海に寄せる波のように、果てなく輝いているのが見える。

 「天書」はまた独自の道を行く、無限の美しさを湛えた書道の大作である。芸術家の愛情が、歴史の中で死にかけていた古代文字と記号の一つ一つに息を吹き込んだ。これらの文字は、見知らぬようで、またよく知っているようでもあり、神秘的ながら親しみがあり、奥深いようでいて身近であり、奇異でありまた美しい。彼の筆にかかり、美は再生を果たしたのだ。

 私は、「天書」が韓美林の重要な作品になると信じている。文学史、書道史、文化史的な価値があるだけでなく、韓美林が生涯の心血を傾け尽くして得た、究極の成果だからである。

 この本には一体どれだけ大きな意義があるのだろうか?

 天は美林を生み、美林はこの「天書」を生み出した。

2006年11月12日

馮驥才
全国政治協商常務委員、
中国文聯[文学芸術界聯合会]副主席、
中国民間文芸家協会主席、
国家非物質文化遺産保護業務専門家委員会主任、
天津大学馮驥才文学芸術研究院院長。